沿革
創建
承久3年(1221年)、承久の乱の戦功により、東胤行(東氏)は美濃国山田荘(現・郡上市)を所領しました。胤行は山田荘阿千葉(現・郡上市大和町剣)を本拠地にし、本家の千葉氏の氏神である妙見菩薩を勧請して妙見宮を築いたのが始まりです。
移転と発展
鎌倉時代末期(1310年頃)、東氏村により篠脇城が築城されると、妙見宮は現在地に移転しました。東氏は古今伝授の家であり、妙見宮で古今伝授の講義が行なわれることもありました。文明3年(1471年)には、東常縁が連歌師宗祇に古今伝授の講義を行なった記録があります。
戦国時代とその後
天文10年(1541年)、東氏が本拠地を篠脇城から赤谷山城へ移転し、篠脇城は廃城となりましたが、妙見宮は移転されませんでした。その後、この地を治める歴代領主により保護されました。
近代
明治時代初期の神仏分離令により、明建神社に改称し、祭神を国常立尊としましたが、実際の神体は妙見菩薩です。明治6年(1873年)に郷社となりました。現在の社殿は享保7年(1722年)に再建されたものです。
祭神と行事・祭礼
祭神
国常立尊(表向きの祭神)
妙見菩薩(実際の神体)
七日祭り
毎年8月7日に行なわれます。「神踊り」の神前の舞、杵振りの舞、獅子起しの舞など、室町時代の田楽が伝承されています。夜には、薪能の「薪能くるす桜」が行なわれ、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されています。