全国の洲原神社の本山
洲原神社は、全国に四十九社あるとされる洲原神社(須原神社)の本山であり、「正一位洲原白山」とも呼ばれています。白山登頂へと至る美濃馬場の前宮にあたり、長瀧白山神社や白山中居神社とともに、白山信仰の重要な拠点として崇敬されてきました。
古くから、豊作、厄除け、夫婦和合、子授けなどのご利益があると伝えられています。田畑に蒔く御砂や田畑札を受けるため、遠方から代参者が訪れることもあり、地域の人々には「お洲原さん」「洲原大神様」として親しまれています。
洲原神社の歴史
創建と三神主家の伝承
社伝によれば、洲原神社は養老5年(721年)に泰澄によって建立されました。その後、明治時代に至るまで、大家家・宮脇家・執行家の三つの神主家が神社を支えてきました。
伝承では、洲原白山が成立する以前、この地には牛頭天王社があり、その神主を務めていた宮元家が、洲原社の成立に伴って宮脇家へと改姓したとされています。
また、大家家は泰澄禅師の弟である三神泰定を祖とし、執行家は元正天皇の病気平癒を祈願するために派遣された伴安麿を祖とするという伝説が残されています。
火災と領地の変遷
康正2年(1456年)には火災によって宝蔵が焼失し、古記録も失われました。
天正17年から翌年にかけて行われた太閤検地の前には、700貫の所領を有していましたが、検地後にはその大半を失い、所領は27石余りとなりました。また、上河和村・下河和村・新部村・曽代村・洲原村には、神社の神山があったと伝えられています。
別当寺と神階の授与
戦国時代には、洲原神社の別当寺として観音院が存在しました。住職については、天正17年(1589年)に実融、正保4年(1647年)に空政、寛文9年(1669年)に範遍の名が記録されています。しかし、延享2年(1745年)には無住となり、寺は廃絶しました。
享和元年(1801年)には、元正天皇との縁にちなみ、正一位の神階が宣下されました。明治時代に入ると、明治6年に郷社、明治12年には県社に列せられました。
洲原神社の文化財
洲原神社には、貴重な自然環境や歴史的建造物、祭礼・信仰に関わる文化財が数多く残されています。国指定の天然記念物をはじめ、岐阜県や美濃市が指定する文化財もあり、神社の歴史と文化を今に伝えています。
国指定天然記念物
- 洲原神社ブッポウソウ繁殖地
岐阜県指定天然記念物
- 洲原神社社叢
岐阜県指定重要文化財
- 洲原神社本殿(中央本殿・東本殿・西本殿)
- 商船之図絵馬
- 能面(小べし見・大べし見・悪尉)
- 素地供物鉢
- 朱根来塗供物鉢
- 朱根来塗供物台
- 木製黒塗供物台
美濃市指定文化財
- 洲原神社拝殿
- 洲原神社舞殿
- 洲原神社楼門
御祭神
洲原神社では、三つの本殿にそれぞれ神様が祀られています。
- 中央本殿:伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
- 東本殿:伊邪那美命(いざなみのみこと)
- 西本殿:大穴牟遅神(おおなむちのかみ)
古くから受け継がれてきた白山信仰と地域の人々の祈りを今に伝える洲原神社。歴史的な社殿や文化財、豊かな自然環境に触れながら、長い年月にわたって守られてきた信仰の歴史を感じられる場所です。