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大矢田神社

(おやだ じんじゃ)

モミジのトンネルをくぐり抜け、歴史ロマンに浸る

大矢田神社は、古くから「美濃の奥宮」として信仰を集めており、特に紅葉の名所として有名です。江戸時代初期に再建された本殿と拝殿は、国の重要文化財に指定されています。祭神は建速須佐之男命と天若日子命です。境内には約3000本のヤマモミジが自生しており、秋には真っ赤に染まった美しい景色を眺めることができます。

歴史

創建は孝霊天皇の時代とされ、社伝によると、深山に悪竜が棲み付き困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があったといいます。その後、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれたため、里人は建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てました。

716年(養老2年)には泰澄大師がこの地(天王山)一帯を開基し、天王山禅定寺号しました。1556年(弘治2年)の戦火で禅定寺は焼失し、その後、極楽坊と常泉坊の2坊のみが再興されました。1870年(明治3年)の神仏分離・廃仏毀釈により、牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀し、大矢田神社に改称しました。楼門(仁王門)は唯一仏教式の門として残されました。

大矢田神社 もみじ谷

境内にある大矢田神社もみじ谷は、3000本にもおよぶヤマモミジの自然樹林があり、毎年多くの人々が訪れる人気の場所です。春には鮮やかな緑色のモミジと白いシャガのコントラストを楽しみ、秋には紅色の絨毯のような景色を堪能できます。平日の早朝は、参拝客も少なく、照紅葉の撮影には絶好のタイミングです。

樹齢1000年以上の古木もあります。1930年(昭和5年)には楓谷のヤマモミジ樹林として国の天然記念物に指定されました。

文化財

本殿 - 寛文12年(国指定重要文化財)
拝殿 - 寛文11年(国指定重要文化財)
楓谷ヤマモミジ樹林(90.3a)(国指定天然記念物)
絹本著色釈迦十六善神図 - 室町時代(岐阜県指定重要文化財)
梵鐘(禅定寺)- 明応3年(岐阜県指定重要文化財)
梵鐘(青柳社)- 大永3年(岐阜県指定重要文化財)
楼門(旧仁王門)- 享保8年(美濃市指定文化財)
阿弥陀如来坐像 - 室町時代(美濃市指定文化財)
弘法大師坐像 - 室町時代(美濃市指定文化財)
大般若写経 - 室町時代(美濃市指定文化財)
兜 - 室町時代(美濃市指定文化財)
大矢田のヒンココ(国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)

大矢田神社のひんここまつり

大矢田のヒンココ(おやだのヒンココ)は、岐阜県美濃市に伝わる民俗芸能で、大矢田神社の祭礼(例大祭)で氏子が奉納する人形劇です。この「大矢田のヒンココ」は県の指定重要無形民俗文化財および国の選択無形民俗文化財として知られており、ひんここ祭、大矢田ヒンココ、大矢田ひんここ祭とも呼ばれます。

祭礼の内容
大矢田神社の例大祭では、お旅所のある小山の山腹で行われ、農耕守護と豊作祈願の神事です。人形劇の「ヒンココの舞」を中心に、稚児渡、獅子渡、稚児舞、獅子舞が行われます。元々は10月18日に行われていましたが、現在は春の例祭(4月の第2土曜・日曜)と11月23日の秋のもみじ祭りに行われています。

ヒンココの由来と歴史
ヒンココという呼称の由来は不明ですが、お囃子の中の「ヒンココ、チャイイココ、チャイチャイホーイ」という掛け声から来ているという説もあります。起源は不明ですが、大矢田神社の記録では寛正3年(1462年)とされています。元和元年(1615年)以降の祭事の古写本が伝えられており、少なくとも江戸時代初期から行われていたと考えられます。

1976年(昭和51年)に岐阜県指定重要無形民俗文化財に指定され、1999年(平成11年)には国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されました。

保存と継承
元々は山本姓の住民で構成される山本連中が行っていましたが、1965年(昭和40年)を最後に中止されました。翌年から1970年(昭和45年)までは大矢田神社の歴代役員が、1971年(昭和46年)からは氏子総代が行いました。現在は大矢田ヒンココ保存会により行われています。

例大祭の流れ
ひんここ祭は早朝から行われ、午前3時頃より松明を灯し、笛・太鼓・摺鐘の囃子とともにヒンココの舞で使用される人形が道行きをします。神輿がお旅所に着くと、流鏑馬、組渡、山車の稚児の舞、獅子舞などが行われ、午後3時頃にお旅所東方の山の中腹でヒンココの舞が行われます。舞が終わると神輿は本殿に戻り、祭りは終わります。

ヒンココの舞
ヒンココの舞はスサノオのヤマタノオロチ退治を表現したもので、神人、農夫、大蛇、猩々姫、竜(小蛇)の人形が使用されます。神人の人形は高さ240cmで右手に大麻を持ち、舞の途中でスサノオに変貌します。農夫は12体あり、高さ210cmで様々な農具を持ち、大蛇は4分割され、頭部は長さ310cm、胴体は2体あり長さ330cm、尾部は長さ350cmで剣(天叢雲剣)が先端にあります。猩々姫は高さ94cmで釣り竿を持ち、クシナダヒメを表し、竜(小蛇)は長さ100cmです。

舞の種類
奉迎の舞
神人が禰宜として囃子に合わせて左・右・左と回ります。これはお祓いを意味します。

奉祝の舞
神人(禰宜)が大神を迎えた祝福を表す舞で、奉迎の舞と同じですが、飛び上がるように大きく動きます。

大蛇退治の舞
12体の農夫が舞台に現れ、3回回ります。神人(禰宜)は舞台中央で奉祝の舞を行い、大蛇の人形が現れて農夫を倒していきます。神人(禰宜)はスサノオに変貌し、大蛇を退治します。

奉送の舞
スサノオが舞いながら禰宜に戻ります。

猩々姫の舞と竜の舞
猩々姫は舞いながら釣り竿で鯛を釣り上げ、竜がその鯛を飲み込みます。これを繰り返し、スサノオが大蛇を退治すると竜は倒れます。

猩々姫祝寿の舞
猩々姫は鯛を釣り上げ、前後左右に振り回して喜びを表します。

Information

名称
大矢田神社
(おやだ じんじゃ)

郡上八幡・美濃加茂

岐阜県