歴史
木曽路の玄関口としても栄えた中津宿の町並みは、西の京都側から東の江戸側に向かって続いており、町の長さは寛文3年(1663年)以降、幕末まで10町7間、道幅は3~4間でした。
中津川宿は尾張藩の重臣で木曽代官や福島関所の管理責任者であった山村甚兵衛家の知行所であり、中津川代官所が存在していました。
見どころ
特に本町あたりが宿場町の街道情緒をよく残しています。裕福な家にしか設けられなかったうだつは防火用または身分の象徴ともいわれ、ここから「うだつがあがらない」という言葉が生まれました。
また、宿場内の道は軍事上の必要からか客止めの策からか、鍵の手に曲がっていて、いわゆる"枡形"を形作っています。