歴史
仁徳天皇の時代(377年頃)、飛騨山中に二つの顔を持つ凶族、両面宿儺(りょうめんすくな)が人民を脅かしていました。これを討伐するために派遣された難波根子 武振熊命(なにわのねこ たけふる くまのみこと)が、先帝 応神天皇を祀り、戦勝祈願を行ったのが桜山八幡宮の始まりと伝えられています。
その後、聖武天皇の時代(8世紀)に諸国に八幡信仰が広まり、この地も八幡宮として整えられました。しかし戦乱の時代が続き境内は一時荒廃していました。
江戸時代(1623年)には、当地の高山領主であった金森重頼が社殿を再興し、氏神として保護し、宮川以北の住民を氏子としました。明治時代には八幡神社に改称され、昭和7年に県社となりました。戦後には「秋の高山祭」として全国に知られ、年間を通じて150万人の参拝者が訪れます。
境内と施設
二の鳥居:享保15年(1730年)に飛騨代官長谷川忠崇の奉納による石造の鳥居が立っています。
高山祭屋台会館
全国でも珍しい本物の祭屋台を展示している施設です。秋の高山祭に曳き出される絢爛豪華な実物の屋台(国指定重要有形文化財)を間近で見ることができます。
桜山日光館
高山祭屋台会館の附設施設で、大正時代に33人の技術者が15年の歳月をかけて製作した日光東照宮の模型を展示しています。陽明門や本殿、拝殿、五重塔など28の建物と鳥居などが実物の10分の1スケールで再現され、総数50万個もの部品が使用されています。