住宅家屋
旧遠山家の主屋は1827年(文政10年)頃に能登の大工によって建てられ、1854年(嘉永7年)に改築された4階建ての合掌造りです。現在も屋内は黒光りし、外観もどっしりとした威容を誇っています。1階部分は居住スペースで、2階から上は養蚕を行うスペースでした。床下では、明治中期まで火薬の原料となる焔硝づくりが行われていました。
建物の大きさは、白川郷・五箇山の合掌造り集落の和田家住宅よりも大きく、かつては数十人の大家族が住んでいました。この地域は山がちで平地に恵まれず、土地が狭いため、次男や三男が分家することが難しく、長男一家を中心とした大家族となりました。そのため、家屋の規模も大型になりました。
遠山家の歴史
遠山家は代々御母衣村の名手を務め、焰硝産業や養蚕業の発展に大きく寄与しました。焰硝産業では白川郷23か村に3軒しかない焰硝の製造販売の取りまとめ役「上煮屋」を務め、養蚕業では蚕種の買い入れや生糸生産の取り締まりを行い、当時の村の産業を支える重要な役割を担ってきました。
また、遠山家は「大家族の家」としても有名で、大正から昭和初期にかけて盛んに行われた「大家族」制研究の舞台となり、多くの研究者が訪れました。明治30年代後半のピーク時には40人の家族員が住んでいたことから、白川村屈指の「大家族」制を維持した家として知られています。