日吉神社は町の中心に位置し、「神戸山王まつり」の舞台となる文化遺産と歴史の宝庫です。 この神社は弘仁8年(817年)に伝教大師によって創建され、近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神が祀られています。神社境内には神仏習合の名残である三重塔が建立されており、国の重要文化財に指定されています。
日吉神社の創建は弘仁8年(817年)にさかのぼります。伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に訪れた際、神戸の地に立ち寄り、当地の郡司・安八太夫安次の懇請に応じて影向山神護寺善学院を建て、近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請しました。 その後、貞観3年(861年)、伝教大師の弟子である慈覚大師(円仁)が三柱の神を勧請し、合計で七柱の神々が祀られることとなりました。この七柱の神々は山王七社として奉幣され、神仏習合の時代を迎えます。
明治時代に神仏分離令が出されるまで、善学院は神社の別当寺として運営に携わってきました。大正2年(1913年)には県社に昇格し、昭和20年(1945年)の太平洋戦争終結後、国家と神道の分離指令により社格が廃止され、その後金幣社となりました。
日吉神社の三重塔は大正3年(1914年)4月17日に国の重要文化財に指定され、昭和32年(1957年)7月20日に再指定されました。この塔は天正13年(1587年)に稲葉一鉄によって修造されたとされ、その以前に斎藤伊豆守利継が建立したと伝えられています。 塔の構造は三層塔婆で、毎層三間、室町時代の豪壮華麗な建築様式を伝えています。
日吉神社には二体の十一面観世音菩薩像があり、どちらも大正3年(1914年)4月17日に国の重要文化財に指定され、昭和32年(1957年)7月20日に再指定されました。この像は藤原時代の様式を持ち、穏やかな面貌や豊かな胸の肉の彫り、流麗な線が特徴的です。
地蔵菩薩像もまた大正3年(1914年)4月17日に国の重要文化財に指定され、昭和32年(1957年)7月20日に再指定されました。この像は極彩色が施されており、往時の優美さをしのばせる作品です。
日吉神社の狛犬一対は、不破河内守光治の寄進によるもので、大正3年(1914年)8月25日に国の重要文化財に指定され、昭和32年(1957年)7月20日に再指定されました。この狛犬は簡素ながら力強い彫刻が特徴で、県内唯一の国重文石造狛犬として知られています。
日吉神社の本殿は昭和33年(1958年)12月14日に岐阜県重要文化財に指定されました。この本殿は寛永7年(1630年)に尾張藩初代藩主、徳川義直公の寄進によるもので、檜皮葺、流れ造り、朱塗りの社殿であり、江戸初期の社殿建築の代表的な建物です。
日吉神社の百八燈は昭和36年(1961年)6月19日に岐阜県指定重要有形民俗文化財に指定されました。百八の燈明が点灯されるこの燈明台は寺院の内陣にあるものが神社の社前にある珍しい例です。
日吉神社の文化財には以下が含まれます。
日吉神社の岐阜県指定重要文化財には以下が含まれます。