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関 春日神社

(せき かすが じんじゃ)

王朝絵巻のような能舞台と関鍛冶の守護神

金幣社であり、関鍛冶の守護神として知られています。

刀鍛冶の心のふるさと

関鍛冶七流と呼ばれたのは「善定」「奈良」「三阿弥」「徳永」「得印」「良賢」「室屋」の各流派です。これらの流派は互いに技術を競いながらも、掟を定め、協力しながら刀造りに励みました。この合議制を可能にしたのは、彼らの多くが同じ大和鍛冶の出身者として、故郷を共有していたからかもしれません。

この共通の信仰を象徴するものとして、正応元年(1288年)に金重と 兼永が奈良の春日大明神を勧請し、関鍛冶の守護神として関春日神社を創建しました。

例祭

関春日神社の例祭は、関まつりと呼ばれ、古典芸能「童子夜行(どうじやこう)」が能舞台で奉納されます。この例祭で使用される能装束類(63点)は昭和31年(1956年)に重要文化財に指定され、毎年10月の第2日曜日に開催される刃物まつりなどで特別に公開されます。

また、能狂言面も平成22年(2010年)に重要文化財に指定されています。

歴史

鎌倉時代、現在の奈良県にあたる大和の国から多くの鍛冶刀工が関に移り住みました。正応元年(1288年)、大和鍛冶の出身者である金重と兼永が関鍛冶を代表し、奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神としました。創建時には神宮寺として真言宗新長谷寺の末寺、勇猛山大雄寺も設けられました。

その後、刀工孫六兼元らの活躍により関の刀鍛冶の名声が日本全国に広まり、例祭も盛んになりました。

永享5年(1433年)、初代孫六兼幸が願主となり神社が再建されました。明治時代には大雄寺が廃寺となり、鐘楼を遺して建物は撤去されました。明治6年(1873年)に郷社に、明治40年(1907年)には神饌幣帛供進神社に指定され、昭和29年(1954年)に金幣社に指定されました。

能舞台

室町時代、境内に檜皮葺きの能舞台が建立されました。この能舞台では毎年正月に神奉能が行われ、舞台芸能がお祭りに取り入れられました。応永2年(1395年)には、兼吉清治郎が関鍛冶七流を代表して翁役を務めたのが始まりです。

寛文5年(1665年)には関の領主大島雲八が能舞台を再建しましたが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風により倒壊しました。現在の能舞台は、従来の建物を再現したものです。

神宝殿

境内の東北に位置する神宝殿は、耐震および耐火を考慮し、温度調節機能を備えた文化財収蔵庫です。能装束類などの重要文化財が保管されています。昭和33年(1958年)に竣工しました。

文化財

重要文化財

能装束類

能装束類は室町時代末期から安土桃山時代、16世紀の作品であり、この時代の染織品が一か所にこれだけの数量で伝来するものは稀有です。これらの品々は、日本の芸能史や染織史において非常に貴重な資料です。以下の63点が重要文化財に指定されています。

岐阜県指定重要文化財

刀 銘 兼常

岐阜県指定重要無形民俗文化祭

どうじゃこう

Information

名称
関 春日神社
(せき かすが じんじゃ)

岐阜市・大垣・関ヶ原

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