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淡墨桜

(うすずみざくら)

1500年の時を超えて咲き誇る日本の宝

淡墨桜は、岐阜県本巣市の根尾谷・淡墨公園にある一本桜で、樹齢1500年以上のエドヒガンの古木です。日本三大桜または日本五大桜のひとつとして知られ、国の天然記念物に指定されています。狭義のサトザクラ系にウスズミ(薄墨)という栽培品種もあるため、両者の混同には注意が必要です。

特徴

淡墨桜は、蕾のときは薄いピンク色、満開になると白色、散り際には淡い墨色になることからその名が付けられました。樹高は17.3m、幹回りは9.4mに達する大木で、山梨県の「山高神代桜」や福島県の「三春滝桜」とともに日本三大桜の一つに数えられています。

歴史と伝承

淡墨桜は、継体天皇が手植えした桜と伝えられており、その歴史は467年(雄略天皇11年)頃に遡ります。このとき、男大迹王(後の継体天皇)は、この地を去る際に1本の桜の苗木を植えたと伝承されています。

保護活動

近年では、幹の老化が進行し、内部の空洞も広がりつつありますが、樹木医や地元の人々の手厚い看護により保護されています。昭和中期には、作家の宇野千代がその保護を訴え、活動したことでも知られています。淡墨桜の苗木は岐阜県や愛知県内の各地に植えられ、その子孫が育っています。

文化的価値

淡墨桜は1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物に指定されました。毎年の開花の季節には多くの観光客が訪れ、淡墨公園内には淡墨桜の資料を展示するさくら資料館があります。また、近くには財団法人NEO桜交流ランドが管理運営するうすずみ温泉と宿泊施設四季彩館もあります。

歴史的な出来事

1913年(大正2年)には大雪のために幹の一部に亀裂が発生し、樹勢が衰え始めました。1948年(昭和23年)には文部省により調査が行われ、3年以内に枯死と判断されましたが、1949年(昭和24年)には岐阜市の歯科医師・前田利行が山桜の根を接木し、1950年(昭和25年)には再生して開花しました。

昭和期の災害と保護活動

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風により被害を受けましたが、1967年(昭和42年)には宇野千代が訪れ、惨状を憂いました。1968年(昭和43年)には雑誌『太陽』4月号に宇野による寄稿文「淡墨桜」が掲載され、岐阜県知事の平野三郎が県文化財審議会に保護再生を諮りました。その後、生物学者の堀武義(岐阜大学)による診断が行われ、再生策がまとめられました。

現代の保護活動

2003年(平成15年)には飛騨・美濃さくら三十三選に選定されました。また、2008年(平成20年)には淡墨桜を含む14種の花の種を国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に8カ月半滞在させ、無重力状態が発育に与える影響を調べる実験が行われました。

まとめ

淡墨桜は、その美しさと歴史的価値から多くの人々に愛されています。長い年月を経て、幹の老化や災害にも負けず、地元の人々や専門家の手によって守られ続けています。訪れる際には、その歴史と文化に思いを馳せ、淡墨桜の美しさを堪能してください。

Information

名称
淡墨桜
(うすずみざくら)

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