歴史
金神社の起源は西暦135年、成務天皇の時代とされます。物部臣賀夫城命が国府をこの地に定め、篤く金大神を崇敬したと伝えられています。
主祭神は金大神(こがねのおおかみ)で、他に渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)、市隼雄命(いちはやおのみこと)、五十瓊敷入彦命、日葉酢姫命の4柱を祀っています。渟熨斗姫命は景行天皇の第6皇女で、五十瓊敷入彦命の妃とされます。
伊奈波神社の縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の命を受けて奥州を平定しました。しかし、その成功を妬んだ陸奥守豊益により謀反の心ありと報告され、朝敵とされ討滅されました。夫の死を知った渟熨斗姫命は、都を離れて夫の御跡を慕いこの地に訪れ、夫の御霊を慰めつつ生涯を終えました。
その間、渟熨斗姫命は地域住民を慈しみ、私財を投じて町を開拓し、産業・農業の発展に寄与しました。この功績を称え、彼女は財をもたらす神として信仰されるようになり、金大神として祀られるようになりました。
社殿
現在の社殿は昭和63年(1988年)に再建されたものです。元和3年(1617年)に加納藩主奥平信昌の嫡子誕生に際し、社殿の造替が行われ、その後も藩政時代を通じて歴代加納藩主の崇敬を受けました。
祭事
例大祭は4月5日に行われ、岐阜まつりは当神社と伊奈波・橿森両神社をはじめとする市内の多くの神社の例祭です。岐阜まつりの神賑行事は4月の第1土曜日と翌日曜日に行われます。毎月9日には骨董市が、11月23日には「新嘗祭」が開催され、地域に親しまれています。
御朱印
2016年から始まった「金の御朱印」は好評を博し、毎月最終金曜日に「プレミアム金デー」として授与されています。この企画により参拝者が急増し、他の神社仏閣にも影響を与えました。