はじまり
武芸八幡宮は養老元年(717年)、泰澄大師が大碓命を祀ったことに始まります。大碓命は父・景行天皇の命を受け、この地方を治めた方で、美濃の美しい娘を妃にしたと伝えられています。亡くなられた後は八幡山に葬られました。その後、応神天皇を神として祀り、今日に至っています。観応2年(1351年)には森蘭丸の祖先である森又太郎源泰朝が社殿を再興しました。
織田家との関係
織田信長は永禄10年(1567年)に稲葉山城(岐阜城)を攻略し、井ノ口を岐阜と改めました。信長は楽市楽座を設け、人心を治め経済の繁栄を図りましたが、武芸八幡宮にも禁制や安堵状を与えました。この神社は岐阜城から見て北東の方角にあり、鬼門鎮護として重要な位置を占めていたからです。
信長の長男・信忠や三男・信孝も同様に安堵状を与え、武芸八幡宮の重要性を示しました。しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変で信長・信忠が亡くなり、その後信孝が岐阜城の実権を握りました。織田家の滅亡後も、武芸八幡宮には信長・信忠・信孝の三人の安堵状が保管されています。
名所と見どころ
武芸八幡宮には多くの見どころがあります。第1鳥居から本殿までは約1300メートルあり、途中には地蔵堂や不動院、大聖寺などが点在しています。特に注目すべきは、樹高約38メートル、樹齢約千年の「大杉」や、信長が建立したと伝えられる「下馬標」です。
花馬まつり
毎年4月中旬に行われる花馬まつりは、笛太鼓の調べと共に、雅な神楽館と桜の造花で飾られた花馬が登場する祭りです。参道から祭り広場に駆け込む花馬の造花を奪い合うという勇壮華麗な祭事で、桜の造花を屋根に上げると落雷防止や家運隆盛の御利益があるとされています。
境内と施設
武芸八幡宮の境内には以下の施設があります。
第1鳥居: 八幡集落の中心部にあり、花馬まつりの出発点です。
第2鳥居: 御旅所横にあり、神輿がここを通ります。
御旅所: 花馬まつりの日に御神体がここまで旅をします。
太鼓橋: 御神体を載せた神輿だけが通る橋です。
下馬標: 織田信長が建立したと伝えられる標識です。
随神門: 本殿へ続く参道の入口です。
武芸八幡宮大杉: 樹高約38メートル、樹齢約千年の大杉です。
鐘楼: 関市指定有形文化財で、武芸川町で最も古い建築物です。
拝殿: 鬱蒼とした林中にひっそりとたたずむ拝殿です。
本殿: 武芸八幡宮の中心となる本殿です。