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横蔵寺

(よこくらじ)

西美濃三十三霊場の第一番札所であり、数多くの文化財を有する「美濃の正倉院」

横蔵寺は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗の寺院です。山号は両界山で、本尊は薬師如来です。この寺院は西美濃三十三霊場の第一番札所であり、多数の重要文化財を有しています。そのため「美濃の正倉院」とも呼ばれています。また、紅葉の名所としても知られており、秋の行楽シーズンには多くの参拝客が訪れ、「横蔵寺もみじまつり」が開催され、ライトアップも行われます。

創建と伝説

横蔵寺は803年(延暦22年)に伝教大師最澄(サイチョウ)が創建したと伝えられています。寺には22体の国の重要文化財が安置されており、多くの絵画や書籍を所蔵しています。このことから「美濃の正倉院」と称されています。特に、200年前に即身成仏した妙心法師の舎利仏が有名です。最澄が比叡山延暦寺を開創する際に、自ら刻んだ薬師如来像を笈に入れて諸国を旅し、横蔵寺の地に到達したときに像が動かなくなったため、この地に寺を建立したとされています。

創建と歴史

横蔵寺の創建は803年(延暦22年)とされ、伝教大師最澄(サイチョウ)が自らの手で刻んだ薬師如来像を安置して建立したと伝えられています。このため、横蔵寺は日本天台宗の宗祖、最澄が創建した寺とされています。最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、本尊薬師如来像を自ら刻み、その像を背負って諸国を巡ったとされています。そして、横蔵寺の地に至った際に像が動かなくなり、ここに寺を建立したと伝えられています。

創建当時の横蔵寺は現在地からさらに奥に入った円山の頂上付近にありましたが、近世初期に現在の位置に移されました。鎌倉時代には38坊を有する大寺院であり、多くの文化財を有する古寺です。鎌倉時代後期の禅僧・無住が著した仏教説話集『沙石集』にも「横倉薬師」の霊験が記されています。

歴史の変遷

横蔵寺は平安時代から鎌倉時代にかけて、多くの文化財を有する古寺です。鎌倉時代には38坊を有する大寺院でしたが、寺史に関する詳細な記録は少なく、断片的な情報しかありません。

元亀2年(1571年)、横蔵寺は織田信長の兵火で焼失しましたが、江戸時代に本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍が再建されました。延暦寺の伽藍が焼き討ちされた際には、横蔵寺の本尊薬師如来像が延暦寺に移され、その代わりに現在の薬師如来像が横蔵寺に移されました。

文化財

横蔵寺には数多くの文化財が残されており、特に平安時代から鎌倉時代にかけての仏像が多く見られます。中でも、大日如来像(重要文化財)は平安時代最末期の寿永2年(1183年)に造立され、三重塔の本尊として祀られています。また、金剛力士(仁王)像には建長8年(1256年)の銘があり、鎌倉時代を代表する仏師の一人である肥後別当定慶によるものです。

妙心法師の舎利仏

横蔵寺は「ミイラのある寺」としても知られており、舎利堂には妙心法師の舎利仏(即身仏)が安置されています。妙心法師は1781年に生まれ、諸国を巡って仏道修行を行い、1817年に断食修行の後、現在の山梨県都留市で即身成仏しました。その遺体は自然にミイラ化し、最も若い即身仏として知られています。妙心法師の舎利仏は当初山梨県で保存されていましたが、明治23年(1890年)に故郷である横蔵寺に移されました。

主要な伽藍

横蔵寺の伽藍には、以下のような重要な建物があります。

主要な文化財

横蔵寺には多くの重要文化財があります。

以上のように、横蔵寺は歴史的・文化的価値が非常に高い寺院です。訪れる人々は、その豊かな歴史と文化財に触れながら、静寂な時間を過ごすことができます。

Information

名称
横蔵寺
(よこくらじ)

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