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南宮大社

(なんぐう たいしゃ)

美濃国一宮 金属の神の総本山

南宮大社は、美濃国の一の宮で、「鉱山・金属業の総本宮」として深く崇敬を集めています。慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦で全社殿が焼失しましたが、寛永19年(1642年)、将軍徳川家光によって再建されました。この社殿は和様と唐様を折衷した独特の「南宮造」と呼ばれる建築様式で、18の建造物が国の重要文化財に指定されています。

御祭神と歴史

南宮大社の御祭神である金山彦命は、伊勢神宮の天照大神の兄神にあたる大神です。社伝によれば、神武天皇東征の際、金鵄を助けて大いに霊験を顕し、その後不破郡府中に祀られました。後に崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に遷座し、古くは「仲山金山彦神社」と称されましたが、国府から南方に位置するため「南宮大社」と呼ばれるようになったと伝えられています。
神位と崇敬

南宮大社は、貞観15年(873年)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国の神社39座の内、唯一国幣大社として名神祭に預かる大社に列せられています。天慶3年(940年)の平将門の乱や、康平年間(1058-1065年)の安倍貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位を極めました。以後、鎌倉、室町、戦国時代を通じて、源氏、北条氏、土岐氏などの有力な武将から崇敬され、美濃国一宮として、また金の神の総本宮として厚い信仰を受け続けてきました。
御社殿の再建

現在の社殿は、関ケ原の戦い(1600年)の際に焼失しましたが、美濃国人の念願と、春日局や竹中伊豆守などの崇敬心によって、寛永19年(1642年)に徳川三代将軍家光の天下普請により旧構のままに再建されました。それ以来、歴代将軍が替わる毎に405石の朱印状を捧げて安堵され、51年ごとの式年遷宮も古式を護り続けてきました。
社殿の特徴と重要文化財

南宮大社の社殿様式は「南宮造り」と称される名建築です。寛永御造営の棟札を始め、造営文書623冊を所蔵し、維新の神仏分離令によって移築された堂塔も含め、その経費が明示されています。御社殿、石鳥居、石輪橋など18棟が国の重要文化財に指定されています。

南宮と歴史

南宮大社は岐阜県不破郡垂井町にあり、旧称は南宮神社です。式内社(名神大社)、美濃国一宮で、旧社格は国幣大社、現在は神社本庁の別表神社です。

南宮大社は、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられています。平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され、名神大社に列しています。

南宮山の山麓に位置し、「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになりました。主祭神は金山彦命で、全国の鉱山・金属業の総本宮として信仰を集めています。境内には江戸時代の遺構18棟が残り、国の重要文化財に指定されています。式年遷宮は51年ごとに行われます。

朱塗りの鳥居

南宮大社の境内を南門から西へ進むと、南宮稲荷神社があります。ここには、京都の伏見稲荷に似た朱塗りの鳥居が並んでおり、静かな参道を楽しむことができます。

貴重な刀「刀 銘三条」

南宮大社が所蔵する「刀 銘三条」は、三条宗近の作品で、日本に五振りしか現存しない貴重な刀剣です。この刀は国指定の重要文化財であり、宝物殿は毎年文化の日(11月3日)にのみ一般公開されています。

御神木「白玉椿」

白玉椿は南宮大社の御神木で、白く美しい椿です。この椿は古くから常盤木として珍重されており、宮中で行われる豊明節会の際には巫女が椿の枝を持って京都御所に赴き、庭で舞を納めました。

文化財

重要文化財(国指定)

南宮神社(18棟)
本殿、幣殿、拝殿、回廊(2棟)、勅使殿、高舞殿、楼門、神輿舎、神官廊
摂社:樹下神社本殿、高山神社本殿、隼人神社本殿、南大神神社本殿、七王子神社本殿
輪橋(石輪橋)、下向橋、石鳥居
造営文書(623冊)

工芸品
太刀 銘康光:備前国長船の名匠、室町時代の作品
太刀 銘三條:平安時代の名刀、三条宗近の作品
鉾(無銘)2本:奈良時代の鉄製の鉾

重要無形民俗文化財(国指定)

南宮の神事芸能

Information

名称
南宮大社
(なんぐう たいしゃ)
リンク
公式サイト
住所
岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
電話番号
0584-22-1225
営業時間

冬期(10月15日~4月15日)午前6時~午後5時30分

夏期(4月16日~10月14日)午前5時~午後6時

アクセス

名阪近鉄バス大垣宮代線・JR大垣駅~南宮大社

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