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崇福寺 (岐阜市)

(そうふくじ)

織田信長とゆかりのある歴史あるお寺

岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は神護山です。織田信長、有栖川宮家ゆかりの寺院として知られています。本尊は延命地蔵菩薩、聖観音。美濃三十三観音霊場第十四番札所でもあります。

織田家の菩提寺であり、本能寺の変で明智光秀に討たれた、織田信長と息子の織田信忠の遺品をを安置させた位牌「織田信長父子廟」があります。きれいに手入れされた庭では、秋にはドウダンツツジの紅葉が見られます。

創建と沿革

伝承によれば、鎌倉時代に創建されました。荒廃していたのを1511年(永正8年)に斉藤利匡が移転整備し、1517年(永正14年)に改称しました。また、別の説としては1469年(文明元年)に土岐成頼と斎藤長弘が建立し、1493年(明応2年)に開山したという説もあります。

織田信長と崇福寺

1567年(永禄10年)、織田信長が斎藤道三の孫、斎藤龍興を滅ぼし美濃に入ると、崇福寺は織田家の菩提寺となりました。その後、本能寺の変で信長と息子の信忠が明智光秀に討たれると、信長の側室お鍋の方が遺品を崇福寺に持ち込み、位牌を安置させました。これが現在の「織田信長父子廟」です。

織田秀信と岐阜城の戦い

1600年(慶長5年)、織田信長の孫である織田秀信が関ヶ原の戦いで西軍に加担し、岐阜城は落城しました。その際、戦死した将兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板が本堂の天井に張られました。今でも血痕が残っています。

江戸時代の保護

江戸時代には朱印地となり、保護を受け繁栄しました。また、有栖川宮の祈願所となり、徳川家光からも特別な保護を受けました。

主な見どころ

織田信長父子廟
本堂裏にある織田信長と信忠の廟所は、岐阜市の指定史跡です。墓の高さは139cm、幅39cm、厚さ30cmで、位牌形の石碑に父子の法名が刻まれています。また、位牌堂には父子の位牌が安置されています。

血天井
本堂の天井には「血天井」があり、関ヶ原の戦いで戦死した将兵の菩提を弔うために岐阜城の床板が使用されています。今でも血痕が見られます。

その他の展示
堂内には貴重な資料が展示されており、きれいに手入れされた庭では秋にはドウダンツツジの紅葉が楽しめます。

行事

毎年10月第一土曜日には、ぎふ信長まつりの日に「織田信長公追悼式」が営まれ、祭りの2日間は無料開放されます。

Information

名称
崇福寺 (岐阜市)
(そうふくじ)
リンク
公式サイト
住所
岐阜県岐阜市長良福光2403-1
電話番号
058-231-2613
営業時間

3月~10月末まで 9:00~17:00
11月~2月末まで 9:00~16:30

定休日

1/15・5/7・8/1・8/5及び特別の場合

料金

大人200円 小人150円

駐車場
有り バス2台、乗用車12台
アクセス

JR岐阜及び名鉄岐阜から市内ループ左回り行き乗車。長良川国際会議場北口バス停下車、徒歩3分。

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